寛容の文化が包むまち「都留」
東京都新宿から西へ約90キロメートル。山梨県都留市は人口3万人ほどの小さなまちです。都留市に移住してきた方が口々に言うのは「外から来る人に対して寛容なまち」という言葉です。この文化には二つの背景があります。
1 都留文科大学の存在
一つは都留文科大学の存在。都留市の人口の約10% (3,000人程度)が大学生です。さらにそのうち90%が市外から進学のために都留に移住してきています。大学設立から60年以上、この街は、外から来る大学生を迎え、送り続けてきました。
2 城下町としての都留
もう一つは、江戸時代初期に谷村藩主の秋元氏が奨めた絹織物業の隆盛です。都留市を含む郡内地方の絹織物が大流行し、郡内縞(ぐんないじま)をまとった女性が数々の浮世絵にも描かれるほどでした。都留は絹地の商いの拠点となり、多くのヒトやモノが行き交いました。外から来る人に対して寛容な文化が根付いたのには、こうした背景があります。
このまちをかたちづくる、
最も大切な文化「OSUSOWAKE」
富士山の湧水が流れる都留には、自然の恵みが多くあります。その恵みを友人・知人と分けあい、共に生きてきた「寛容の文化」がこのまちをつくってきました。
江戸時代から続くこの文化の循環を今に呼び起こし、「生涯活躍のまち・つる」を創るためのコンセプトとして「OSUSOWAKE」という言葉を掲げました。
自分ができること、持っている資産をできる範囲で人のために使う 「OSUSOWAKE」の文化は、今もこのまちのいたるところにあります。
それぞれができることをお互いのために提供しあい、
まちに新しい価値が創出される
市内外の企業、人、そして行政にもそれぞれに得意・不得意があります。それぞれが無理のない範囲で互いの為に提供しあうことでまちに新しい価値が創出される。それを「OSUSOWAKEのまちづくり」と呼び、私たちの事業創出コンセプトとしています。
もし「私もOSUSOWAKEのまちづくりに参加してもいいな」と思っていただけたなら、是非あなたの得意なこと、やりたいことを教えてください。
人口約3万人の小さなまち都留市から、人生100年時代の新しいまちづくりを創出しましょう。
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